コーヒー1杯の暖かさ

心理学を専攻する教育大生が、教員を目指さずに、日本の教育に一石を投じます。

この体験からあなたは何を感じますか?【心理学系書籍レビュー②前半】『夜と霧』ヴィクトール・フランクル著

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こんにちは😊 

日々、教育と心理学について考えているじんぺー(@jin428)です!

第2弾である今回は、心理学を勉強していなくても知っているかもしれない、あの名著です。

 

 

こちら。

 


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ヴィクトール・フランクル『夜と霧』です。

 

それではいってみましょう〜

 

やはり、1回で終わりませんでした。今回は前半です。また次回も読んでください。

 

 

 本の概要紹介

原書はドイツ語で書かれています。『夜と霧』という和訳が今となっては定番中の定番ですが、直訳は全く違います。そしてそれを見れば何の本か大体分かると思います。

 

 

直訳は、

 

『心理学者、強制収容所を体験する』

 

というタイトルです。

 

 

ユダヤ人であった著者のヴィクトール・フランクルがユダヤ人強制収容所での壮絶な生活やそこから生まれた考えを記しています。

 

 

本書は前回紹介した『心理学の名著30』にも取り上げられている言うまでもない心理学の名著ですが、文学的価値も高いことで知られています。

 

 

実際、うちの大学図書館では文学コーナーに置かれていました。

 

 

 

ぼくの持論なのですが、こういう体験談の類などその人にしか語れない生々しい話は実際に本を読んでもらう方がいいと思うのです。

 

 

第3者が紹介したところで本当の思いを伝えきれない可能性が大ですので。

 

 

ぼくは和訳を読みましたができることなら、ドイツ語で読みたいレベルでした。翻訳の段階で第3者介入していますからね。

 

 

 

よって、このレビューの目標は皆さまにこの名著中の名著を手に取ってもらうことです。

 

 

内側から見た強制収容所

 

「心理学者、強制収容所を体験する。」

これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場にたって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない。それはこれまでにも(とうてい信じられないとされながらも)いくたびとなく描かれてきた。そうではなく、わたしはおびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。強制収容所の日常はごく普通の被収容者の魂にどのように映ったかを問おうと思うのだ。

―p.1

 

 

本書はこんな書き出しでスタートします。

 

フランクルは収容前、医師として働いていたこともあり、収容所でも医師のような役割を与えられますが、それも最後の数週間だけで、あとはごく普通の被収容者であったそうです。一般的な被収容者の経験を書き記す以上、この事実は重要だと述べています。

 

できるだけ特別な体験としてでなく、どこの収容者でも、誰でも起こりうることとして一般化して伝えたかったのでしょう。

 

 

フランクルは収容所生活への心の反応として、大まかに「施設に収容される段階」

「まさに収容所生活そのものの段階」「収容所からの解放の段階」の3つに分けているので、本レビューもそれに沿って書いていきたいと思います。

 

 その前にコーヒーどうぞ。

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施設に収容される段階

 

何も知らされずに乗せられた貨物列車が止まりました。外はほとんど見えず、高いところに窓が少し覗いているだけだったそう。

 

「駅の看板がある――アウシュヴィッツだ!」

この瞬間、だれもかれも心臓が止まりそうになる。アウシュヴィッツと聞けばピンとくるものがあった。あいまいなだけ一層おぞまし、ガス室や焼却炉や大量殺戮をひっくるめたなにか!

―p.12,13

 

フランクルは底なしの恐怖を感じつつも、もう1つ違った感情を報告しています。

 

 

それは貨車の扉が開けられ、縞模様の服を着た被収容者を見た時でした。

 

 

精神医学では、いわゆる恩赦妄想という病像が知られている。死刑を宣告されたものが処刑直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想し始めるのだ。それと同じで、私たちも希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くないだろうと信じた。見ろよ、この被収容者たちを。頬はまるまるとしているし、血色もこんなにいいじゃないか!

―p.14

 

 

実は、彼らは特別な「エリート」被収容者たちでその時は知る由もなかったということが書かれています。

 

人差し指のかすかな動きの意味

 

その後、冒頭にしながら、ぼくが最も衝撃を受けた描写があります。

 

男女別々に一列になって親衛隊の高級将校の前を歩け、との指示を受けた。〈中略〉

男は心ここにあらずという態度でたち、右肘を左手で支えて右手を掲げ、人差し指をごく控えめにほんのわずか―ある時は左に、またある時は右に、しかしたいていは左に―動かした・・・。この人差し指のかすかな動きが何を意味するのか、さっぱり見当がつかない。

―p.17

 

夜になって、フランクルは収容所暮らしの長い被収容者に、友人Pの行方が分からない、もらして、人差し指の意味を知ることになりました。

 

「その人はあなたとは別の側に行かされた?」

「そうだ」

「だったらほら、あそこだ」

あそこってどこだ?手が伸びて、数百メートル離れた煙突を指さした。煙突からは数メートルの高さに不気味な炎が噴き出して、渺渺と広がるポーランドの暗い空をなめ、真っ黒な煙となって消えていく。あそこがどうしたって?

「あそこからお友だちが天に昇っていってるところだ。」

ーp.19

 

 

実はフランクルは友人の死について、これ以上のことは書いていません。

 

 

書けないレベルの絶望感がここではあったのではと、ぼくは思っています。

 

第一段階クライマックスの心理反応

強制収容所ではすべてのものが取り上げられます。

 

 

結婚指輪も家族の写真も。

 

フランクルはライフワークとしていた学術書の原稿を取り上げられました。

 

 

この時、わたしは事の次第を飲み込んだ。そして、この第一段階のクライマックスにおける心理学的反応をした。つまり、それまでの人生をすべてなかったことにしたのだ。

―p.22

 

ここで気になったのは、それまでの人生をすべて「なかったことにされた」のではなく「なかったことにした」としたところです。

 

 

おそらく、なかったことにした方がつらくなることも少なくて、生き延びるための最善の選択だと本能的に感じたからでしょう。

 

 

だから、フランクルは「心理学的反応」としているのだと思います。

 

 

 

やっぱり長くなってしまいましたね。。

 

 

次回後半戦で、収容所生活そのもの、そして、解放の瞬間を見ていきたいと思います。

 

それまでに読んでおいてもいいのですよ~~150ページほどで読みやすいので、ぜひ。

 

 

今回もここまで読んで下さり、ありがとうございます。

 

 

 

 

今年もあと2ヶ月早いですね~