コーヒー1杯の暖かさ

心理学を専攻する教育大生が、教員を目指さずに、日本の教育に一石を投じます。

学校って何のためにあると思いますか?【教育系書籍レビュー⑥】『すべての教育は洗脳である』堀江貴文著

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こんにちは☀

日々、教育と心理学について考えている、じんぺーです!

前回は、教育系書籍レビュー第5弾として、東和誠さんの『問題だらけの小学校教育』を取り上げさせて頂きました。

 

www.jinpe.biz

 

 

そして、今回は、「教育系書籍」なのかどうかも分からない本をチョイスしました。

 

(Kindleで読んだため、実際の写真撮れんかったです)
 

 

堀江さんとか前田さん、箕輪さんとかこの界隈の人たち好きなんです~

 

「自分の好きなことやってる」人たちの生き方がかっこいい!と思うタイプなのです。

 

というわけで、教育に関係しているかどうかは別にして、この本を読んで思ったことをつらつら書いていきたいと思います〜

 

 

最初に:この本のレビューは怖いよ!

レビューしていこう~とはいったものの、これだけ教育関係者がフォローしてくださっている立場で、こんな「教育は洗脳だ」と主張している本を紹介していこうなんて、おそろしや…

 

 

まあ、ほんとにあくまで1意見です。柔軟な発想になるためには少し極端すぎるくらいのアイデアも入れた方がいいのでは、というのがぼくの考えです。

 

 

すぐ反論したい気持ちもわからないことはないのですが、1度、堀江さんの主張、そしてぼくの感想も聞いて頂けたらと思います。

 

 

学校は工場の誕生と連動して作り出された

これが何を意味するか分かるでしょうか。

 

 一定の年齢に達した国内の子どもを1箇所に集め、読み書きや計算を教える ― こうした学校制度の基礎は、19世紀、つまり産業革命期のイギリスで生まれた。〈中略〉

 学校の大きな役割は2つあった。1つは子どもの保護。そしてもう1つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育て上げることだ。

 

つまり、工場で働かせるための学校だったというわけですね。

 

たしかに、アリエスの『〈子供〉の誕生』*1を授業で教わった時、そんな話を聞いたと思います。

 

「望ましい工場労働者」とは簡単にいえば、読み書き計算ができ、ボスのいうことに忠実に従う人のことだと思います。

 

 

堀江さんは時間割の厳守、全体行動、一方的な評価などを例に出し、今の学校も「望ましい工場労働者」を作るためにあると論じています。 

 

 

ぼくは、これを読んで、正直「あー否定できないよなあ」と思ってしまいました。 そして、思い浮かんだのが、Twitter上ではもはやおなじみの合法先生の数々のツイートです。

 

 

合法先生は校則の妥当性のなさをさまざまな観点から説明しています。

 

こういう論理的に破綻している校則のほとんどが、はみ出し者を排除し、言うことを聞く「望ましい労働者」を生み出すためと思ってしまうのです。

 

 

「オールB」思考

まず、堀江さんは「学び」とは没頭のことだと言います。わき目も振らずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験すべてが「学び」であるというわけです。

 

 

「勉強」が受動的であるのに対して、「学び」は能動的、ぼくも同意です。

 

 

そして、堀江さんはこういいます。

 

 残念ながら学校は、こうした学びの本質を教えてくれない。むしろ、子どもたちから没頭する機会を奪うことばかりに力を注いでいるのが現状だ。

 象徴的なのが、学校教育を覆う「オールB」思考である。

 

うーん、この辺りは断定的過ぎるかなあ、と思ってしまいました。 先ほど能動的と申し上げた「学び」の本質を教えてくれる先生もいるだろうと思うからです。

 

 

しかし、堀江さんが言うこともよくわかるので、もう少し説明を続けます~

 

 

「オールB」思考というのは簡単に言ったら、「何かに抜きんでて(A評価)、他がだめ(E評価)」という人より、「全てのことがそれなりにできる(B評価)」人の方が学校が評価するというものです。

 

 

この思考もなぜ生まれたかといえば、先程話に出た「学校は工場労働者の育成機関」だったからです。

 

 

労働者を使う側からすれば、素晴らしい長所が1つだけある人材よりも、これといって大きな短所の見当たらない人材の方が使いやすい。

 

と堀江さんは言っています。

 

でも、これって19世紀の話ですよね?!たぶんその頃は、機械もあまり発達していなかったため、工場労働者は単純作業をひたすらしていたと思います。

 

そういう環境だと、「短所がなく、全てのことがそこそできる労働者」が求められるのも分かります。

 

 

しかし、何度も言うように、これは19世紀の話で、今の社会は少し違うと思います。

 

 

今の社会はむしろ、「何かに抜きん出た人」が何人か集まり、1つのものを作り上げていく社会(にこれからなっていく)だと思っています。

 

 

「何か1つでも得意なことがある人」が認められる世の中になって欲しいし、学校もそういう場であって欲しいなあとぼくは思います!

 

 

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コーヒーどうぞ。

 

学校は何のためにあると思いますか?

この問いは、本書に関係なく、ぼくがずっと考え続けている問いです。

 

うちの大学に、現職の先生が来てお話された時、お話の文脈関係なく、この質問を投げかけたことがあります笑 そのくらいずっと考え続けていて、これだ!という答えが出ていないのも現状です。

 

学習は、塾に部活はスポーツ少年団や、その他習い事に、友だちだってその中で十分できるだろうし、学校ってなくても世界回るのでは?と思ってしまうこともけっこうあります。

 

堀江さんは、本書の結びで、

 

僕たちの学びの可能性は大きく広がり続けている。学校も、教師も、教科書もいらない。1人ひとりがもっと自由に、夢中になって新しい知を開拓できる時代がやってきたのだ。

 

と書いています。ここだけ抜き取ると、誤解も起きると思うので、ぜひ本書を読んで頂きたいですね。。

 

 

「学校はいらない」と断定している、ぼくには恐ろしくてそんな断定はできませんが、そんな意見が出てきてもおかしくないよなあ、とは思っています。

 

 

そんな少し極端な意見に触れ、これからも「学校って何のためにあるんだろう」という問いについて考え続けたいなあと思います。

 

 

ちなみにぼくが現職の先生に投げかけて返って来た答えは、「学校を家のようにしたい。」というものでした。「学校に、ただいま〜と言って来るぐらい」にしたいと言っていました。

 

 

つまり、「子どもの居場所」ですよね。学校がなくなったら、様々な事情で、塾やスポーツ少年団にも行けない子が出てくるだろうし、家庭や社会に居場所のない子を守ってあげるのが学校の役目だというような話だと思います。

 

 

これも1つの意見として受け取って、自分の納得のいく答えを見つけていきたいなあと思います(絶対の答えないよ)!

 

 

最後に

堀江さんの「すべての教育は洗脳である」をレビューしてきました。

 

 

全体的に堀江さんの主張は納得できるし、賛成できます。

 

 

だからといって、「学校はいらない」となるのも悲しいし、「学校をなくす」ことも(すぐには)難しいと思います。

 

 

ぼくはこの本を通して、もう一度「学校って何のためにあるんだろう」と考えることができました。

 

 

 

1人では答え出ません。。ぼくと議論してください~!

 

 

今回もここまで読んでくださりありがとうございます。

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今日もいい出会いがありました~今年は「人と会う」のがテーマです!

*1:フランス歴史学フィリップ・アリエスの著作である。1960年に公刊された。子供大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物である。