コーヒー1杯の暖かさ

心理学を研究する大学院生が、研究もそこそこちゃんとやりながら、日本の教育に一石を投じます。

震災のことを想うと流れる涙を止める冷静ドライじんぺー

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みなさんこんにちは。

 今年も3月11日がきました。
ぼくを含む多くの人にとって大切な一日だと思います。10年といっても特別なことではない、というのもよく分かりますが、それでもぼくは普段東北に思いを馳せる機会があまりない人にとって、節目ごとに再確認する日は大切だと思います。

 

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今年も東北の地でこの日を迎えられました。とても嬉しいです。毎年深い理由はなくてもこの日は東北に居たいなあと思っています。

 

今年も2年前と同じように福島は広野町で行われたSong of the Earthというイベントに行ったり、双葉町の壁画アートを見に行ったりしました。

 

 

 

 

やはり、自分を行動させるのは「アート」なのかなあと思ったりしますが、今回はその話は書きません。

 

今日ぼくは、2度、震災のことを思いながら少し泣きました。ELLEGARDENがMake a Wishを歌っている時と黙祷の時です。歌の力、言葉の力が強かったり、震災で大切な人を亡くされた人のことを思ったりして心が動いたのだと思います。(言語化できることばかりではないと思います。)

 

しかし、今日だけではないのですが、ぼくは震災のことで涙しても、すぐにその涙が引いてしまいます。こちらは、割と明確に言語化できて、涙が出てくると同時に、「自分の町はそんなに被害がなかったし、身近な人は誰も失っていないし、この会を作っている人みたいに本気で東北のために動いてきたわけではないだろう」という思いが込み上げてくるからです。

 

例年はここまでで考えが止まっていたのですが、今年はもう一歩進めたい!と強く思っています。

 

ぼくの中にそういった冷静ドライじんぺーが出てくるのは、特に「東北のために動けなかった」
自分がいるのが大きな理由と思います。よく話すのですが、当時、中学3年生で隣町がぼろぼろになっても家で炬燵がつくのを待っているしかできなかった自分を情けなく思っている自分がいます。(あの時の無力感を今なんとかして原動力に変えたいと思って、やっている活動も多いですが。)

 

細美さんや主催者の方が10年を振り返りながら号泣しているのをみながら、自分もこんなふうに動きたいなあと思いました。

 

予想通り話上手くまとまっていませんが、最後に、先日ガイドゲームで友人と語り合っている時のことを書いておきます。会の最後くらいで、「今同じくらいの災害が起こったら何ができますか?」と聞かれました。一旦は、ぼくは教育系の活動がメインで、災害系だとあまり動けることないかもね〜と答えたのですが、周りの関わっている人を見渡した時に、もしかしたら何か力になることができるかもしれない、と思えてきました。

 

 

これは自分の中でも新しい気づきでした。10年で少しは変わってきたのかな?と、晴天の福島の地で感じることができました。いつも関わってくださるみなさまありがとうございます。祈りの1日にも感謝です。

 

心をこめて。